目次
1.名前、生まれ、学校
2.保育園~小学時代
3.中学時代
4.高校時代~大学受験
5.大学時代
6.「書く」ことに没頭していた学生時代
7.社会人デビュー
8.食品工場の品質管理・衛生管理のスキルを磨く
9.転職そして現在
10.趣味
11.性格
12.座右の銘、好きな言葉
13.経営理念
【名前、生まれ、学校】
・荒井 崇志(あらい たかし)
・1983年2月21日生、B型 亥 うお座 八白土星 千葉県成田市出身、現在は大阪市に在住
・長沼保育園→成田市立豊住小学校→成田市立豊住中学校→千葉県立成田国際高校 英語科→中央大学 総合政策学部 政策科学科
【保育園~小学校】
保育園の時は、ホント泣いてた記憶しかないんですよね~。4歳から行きだしたんですけど、母親に毎朝連行されるイメージしかなかったですからね(笑)強制的に先生に引き渡されて、午前中は1人で延々泣くっていう。昼ご飯食べると元気になってきて、午後からようやく友達の輪に加わる感じでしたね。
小学校時代は、なんといっても野球です。名門の成田高校の試合を観てから、すっかり憧れてハマってしまいました。
3年生の時に、地元の少年野球チーム(豊住ヤンガース)に入りました。ポジションは、最初のうちは色々と転々としてたんですけど、5年生の時に、監督から「おまえキャッチャーやれ!向いてるから」って言われて、それからずっとキャッチャーでしたね。それが原因かどうかはわからないですけど、ヒザを壊してしまって。普通にしゃがんだり立ったりできなかったですから、辛かったですね・・・
それでも、6年生になったら、なんとキャプテンに抜擢されたので、楽しかったですよ。
【中学校】
あたりまえのように、野球部に入部したものの、人数が少ない学校だったので陸上部がなくて、毎年冬場になると「駅伝部」ができるんです。色んな部から、とにかく走れそうな連中が寄せ集められて(笑)
それで上位に食い込めるかというと、やっぱりそんなに甘くなくて。中学1年の頃は、70チーム中69位で、ほぼ最下位のレベルでした。周囲の学校からは憐れみの目で見られるんですよ、「人数のいない小さな学校だから仕方ないよね」って。悔しかったんですけど、なんか変に納得してました。
でも、中学2年の時に赴任してきた体育の先生が、日体大陸上部出身で、しかも箱根駅伝のメンバーだったんですよ。それから、練習の中身が劇的に変わりましたね。結果は、前年69位→12位の大躍進!明らかに周りの見る目が変わったのを感じたし、ホント嬉しかったです。
中学2年の終わりくらいからは、20kmくらいはほぼ毎日走ってました。そしたら、1,000mが2分50秒くらいで走れるようになって、5,000mでも15分代のタイムが出だして、気がついたら成田市の代表にも選ばれたんですよ。最初は長距離が苦手だったんですけど、結果が出てきたら、断然面白くなりました。
【高校~大学受験】
高校生活は「英語・ギター・大学受験」、この3つです。ちなみに、皆勤賞でした!
中学時代にX JAPANやGLAYなどの曲を聴いてから、すっかりのめり込んでしまって。あんな風にギター弾けたらカッコイイだろうなあって思って、母にギター買ってくれって頼んだら、期末テストでまともな点数取れたら良いよってことになったので、必死に勉強して憧れのギターをゲットしたんですよ。本格的に弾き始めたのは高校に入ってからですね。野球部と陸上部からは何度も誘われたんですけど、「ギター弾きたいんでやらない」って断ってました。毎日5~6時間は弾いてましたね。
英語科に進学したのも、X JAPANのリーダーのYOSHIKIが英語ペラペラでカッコ良かったからという、単純な理由からです。ただ、さすが「英語科」というだけあって、まぁ英語の授業が多かったです。1週間のうち13時間は英語の授業でしたし、それとは別に、毎週小テストが3種類(単語、文法、会話)ありましたから。ホームルームも英語でしたからね~。
たしかに、サボることもできたと思います。実際、やらなくなっちゃう子たちはたくさんいました。でも、誰かにやれって強制させられたことではなくて、自分がやりたいって決めたことなんで、そこはちゃんとやろうって思って真面目にやってました。
高校3年にもなると、進路相談が始まるんですが、かくいう私は、米国のボストンにあるバークリー音楽院に留学する!って公言していたので、それに向けて準備していました。今と違ってインターネットが普及する前だったので、現地にレターを送ったり国際電話で直接依頼したりして、資料を取り寄せて。それで、毎年夏に「サマースクール」という体験入学会のようなものをやってると知って、参加したんです。10日間くらいの短い期間なんですけど、実際の講義を受けたり、演奏会をやったりして現地の雰囲気をつかむんです。
行ってみた結果・・・全然ダメでした(笑)まさに玉砕。まず、講義で言っていることが全くわからない。生活レベルの言葉は理解できても、音楽の専門用語がさっぱりわかりませんでした。あと、話すスピードが速くて、理解が追いつかない。加えて、演奏レベルの低さ。寮の部屋がいっしょだった、ペンシルベニア州出身のポールという少年は、中学生とは思えない手つきで弾いてましたからね。それに比べたら、私なんかはギターをジャカジャカかき鳴らして唄ってるだけ(笑)次元が違うって痛感しましたね。
受験まで残された時間はわずか半年間・・・もう一回やれって言われたら、イヤですね(笑)高校1年から、ちゃんと準備し出すと思います。というのも、バークリーのサマースクールで打ちひしがれて、帰国した時点で、すでに高3の8月末でした。。
周りはみんな、夏休み返上して予備校に行って必死に勉強してましたからね。帰国して早々、学校に行って担任の先生つかまえて、「やっぱり大学受験します」って伝えたのを今でも覚えてます。進路が180度変わったもんだから、ビックリしてましたけどね。先生と話してる中で、英語は自信持って良いよって言われたものの、他の教科の勉強してる時間ないよなーって感じてました。色々探したら、英語と小論文だけで、受験可能な学校がいくつか見つかって、コレしかない!って思いましたね。ちなみに、20年近く経った今でも役に立つことは多いです。
赤本と呼ばれる過去問集を見たら、楽勝ではないけど、あと半年あるしやれる気がしてきまして、そこからは一気に受験モードに切り替わりましたね。今までギターを弾いていた時間は、すべて勉強に充てました。学校が終わって毎日電車で成田から片道40分かけて、船橋の予備校に通いましたよ。近所の予備校でも良かったんでしょうけど、元々留学の準備で通ってた予備校で、英語教育のレベルの高さは筋金入りだったので、苦ではなかったですね。
【大学】
怒涛のように受験期間は過ぎ去り、晴れて大学に進学となりました。正直、本命ではなかったんですけど、今振り返るとホントに行って良かったですよ。周囲が説得してくれたおかげです。一人暮らしをして、身の回りのことを自分でやりながら、それまであたりまえだと思っていたことが、両親や祖父母あってのものだったんだなぁと身に染みるようになりました。
愉快な友人たちにも会えて、毎日が楽しくてしようがなかったですね。かけがえのない財産です。
アルバイトで貯めたお金で、欧州に2度行きました。1回目は、パリ→ローマ→フィレンツェ→ウィーン→プラハ→ベルリン→パリ、でした。移動はすべて電車で、寝台列車で国境を越えていく時なんかはロマンがありましたね~。2回目はドイツ1周。ビールとソーセージが最高でした(笑)また行きたいな~
もちろん学業の方もちゃんとやりましたよ。卒論も真面目に書いてよかったなぁと、今になって思います。
【ひたすら「書く」ことに没頭していた学生時代】
小さい頃から作文が得意だったかというと、全然そんなことはなくて、むしろダメな方でしたね。小学5年生の時に読書感想文を書かされたんですけど、担任の先生に「恥ずかしい、こんなの5年生の文章じゃない!」と怒られた記憶があります。どこが悪いのかよく分からないまま、「おれって文章力ないんだな~」ってずっと思い込んでましたから。
転機が訪れたのは高校3年の時で、ミュージシャンになる夢を泣く泣く諦めて、大学の受験勉強を始めた頃でした。受験まで半年しか時間がなくて科目を絞るしかない状況になって、選んだのが英語と小論文でした。英語はもともと自信があったし、二科目なら半年でもなんとかなるだろうと。(これって実は『ビリギャル』のストーリーといっしょなんです)でも、小論文の対策はどうしようかと思って、駅前の本屋さんで参考書を探していたら・・・出会ってしまったんです、小論文の神様と云われる樋口裕一先生に!
実際、先生本人にも添削指導をしてもらいましたが、「型」を覚えれば半分できあがったようなもので、そこに知識や情報を入れていけば誰でも書けるようになるんだな~ってことを実感しました。これって、書く時だけじゃなくて、読む時も話す時もいっしょなんですよ。
僕が大学に行きだした頃は、大学の授業のレポートはすべてMicrosoftのワード(もしくはその類似ソフト)で書いて提出するというのが暗黙のルールでした。そうなると、横行しだすのが「コピペ」(コピー&ペーストの略)です。ペーストというのは「貼付」の事なんですが、文章だけでなく画像なんかも、マウスを右クリックするだけで一瞬で複製が作れてしまう優れた機能です。
当時はすでに検索エンジンのYahoo!やGoogleもあって、今ほどではないにせよ、それなりに情報がインターネット上にありましたから、ずる賢いやつになるとその内容をコピペしてきて、少しだけ修正を加えて自分のレポートとして提出してましたね。
僕の場合は、運良くというか、そういうのが何となくイヤだったので、真面目に一から書いてましたよ。レポート課題では参考文献が指定されるんで、ちゃんと読んで知識を入れてから書く、という流れです。この時に、小論文を書く過程で学んだ「型」をわかっていたのは、ものすごく大きかったと思います。レポートの作成だけでなく卒論もそうだったし、本を読む時も、誰かに何か話す時も全部いっしょなんです、基本的には。それは今でも変わっていません。
新入社員の頃、会議の議事録を作って部長に提出したら、「おまえの文章、わかりやすくて良いね~!」って言われたんですよ。部長職になると、色んな議事録や資料に目を通すから読んだ時にわかるんだそうです。単なる議事録だから、型を意識したつもりはなかったんですけど、自然とそうなっていたんだなぁと感じました。
今はSNSなどの影響もあって、良い意味でも悪い意味でも、自分で発信していく時代です。ネットの記事を読んでいると、以前よりも文字数が多くなっているんですよ。情報量が爆発的に増えている状況の中で、「君はどうする?」といつも自分自身に問いかけている今日この頃です。
【社会人デビュー】
新卒で、国内大手食品卸売会社(東証一部上場企業)に入社。いわゆる「問屋さん」です。入社式と新人研修期間こそ東京勤務だったものの、初めての配属先がまさかの大阪の営業課でした。最初は社会人1年目の緊張と、慣れない大阪での暮らしで大変でした。
自然に「毎度!」と言えないもどかしさ。先輩に「これなおしといて」と言われても、もとに戻すという意味だとはすぐに理解できない恥ずかしさ。阪神高速では守口線にぬける車線変更がなかなかできず、余計に2周したのを覚えています。
初めての営業担当先は、某百貨店さんでした。2年目になる他の百貨店さんが加わり、3年目からは在阪の食品スーパーさんと生協さんの共同購入(宅配)を担当しました。全国津々浦々、大手から銘店まで、良質な食品を製造するメーカーさん、商品を大切に運んでくれる運送屋さん、唯一無二のコーディネーターの方々、酒好きで食好きな先輩・同僚、彼らといっしょに商売に取り組めた事は、現在の自分の誇りでもあり財産です。
手前味噌になりますが、年間売上高1,000万円足らずの担当先を、3年で1億円超まで引き上げた実績もあります。
「大手ベンダー」といっても、冷蔵・冷凍のカテゴリーの売上だけをみると、他社に比べたらとても小さな規模でした。社内の中でみても、酒・グロサリー・ギフトなどのカテゴリーが全社売上高の大半を占めていましたから、肩身の狭い思いをした経験もあります。
とはいえ、他部署の人間ができない(知らない)ことを学ぶことができたのは、振り返ってみれば貴重な経験だったと感じています。その一つが、食品工場における「品質管理」なのです。
【食品工場の品質管理・衛生管理のスキルを磨く】
たしかに、会社全体の規模でいったら「大手」と呼ばれる企業でしたが、僕が担当していた冷蔵・冷凍(チルド・フローズン)のカテゴリーの売上だけをみたら、他社に比べたらとても小さな規模だったんですよね。社内の中でみても、酒・グロサリー・ギフトなどの他のカテゴリーの方で、全社売上高の大半を占めていましたから。
そうなると、少ない人数でたくさんのことをやらないといけなくて、よろず屋状態ですよ。まぁ何事も広く知っておきたい性格なんで、結果的にはそれが良かったと思います。他の部署の人からは、「何をやってるのかよくわからない」ってよく言われましたよ。同じ会社なのに(笑)
逆にいえば、他部署の人間ができない(知らない)ことを学ぶことができたので、いま振り返ってみればすごく貴重な経験だったと感じています。その一つが、食品工場の「品質・衛生管理」なのです。本格的に品質管理に携わるようになったのは、ちょうど入社3年目の頃に、生協を担当したことがキッカケです。その生協の品質管理は、日本トップクラスの水準でしたから(今でもそうです)、ものすごく勉強させていただきました。
先方からは、取引メーカーの品質管理レベルをあげて、それを維持していく事が求められていました。何かトラブルが起きると、品質保証部の担当者に呼び出されて、コンコンと説教されるなんていうのは日常茶飯事でしたよ。平謝りで済むだろうと安易に期待していたら、2時間以上経っても帰らせてくれなかったこともありましたからね(笑)
『踊る大捜査線』(今から20年くらい前に一世を風靡したフジテレビの刑事ドラマ)の中で、主人公の青島巡査(織田裕二)が、「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」って憤然と言い放つシーンがありましたけど、品質管理もまさにそれですよ。写真や文章だけではやっぱりわからないです。
だから、百聞は一見に如かずで、現場に赴いて工場点検を数多く行いました。その中で感じたのは、多くの企業が品質管理の考え方ややり方がわからず、どうしていいか悩んで困ってらっしゃるということでした。TVCMで見るような大手メーカーのように、専門の部署を設け、人的資本を投資できるなら良いのですが、実際はそうはいきませんよね。かといって、「品質レベル向上」を謳った、数百万・数千万単位の機械の類を購入したとしても、それだけでは根っこの部分は解決しないですし、ムダな設備投資になってしまいます。そこに対して、指導と言ったらおこがましいですが、アドバイスを行いながらスムーズな取引ができるようにしていましたね。
【転職そして現在】
そして、29歳の時に、フルコミッション(完全歩合制) の世界で働いてみようと一念発起し、現在の生命保険の営業職に思いきって転職。新天地でスタートを切ってから、すでに丸8年が経ちますが、その間多くのお客さまに出会い、そして励まされながら、現在に至ります。
寝かせている資産をカンタンに増やす方法を伝えると、「教えてくれてありがとう!」と感謝の声をいただけるのがうれしいですね。もちろん、お客さまが亡くなった後の手続きや、入院や手術の手続きにもたくさん携わってきました。「あんたの話を聞いて言うとおりにしておいてホンマによかったわ」、「本当に助かりました」・・・感謝されればされるほど、自分の存在価値を高め、その期待に応えていこうと猛烈に思います。
そのために、日々「学習する」ことを忘れずに、進化と自己研鑽の毎日です。やることが次から次へと湧いてきて、半年経っても終わらない状態です(笑)嬉しい悲鳴というやつですね。
【趣味】
・食べ歩き飲み歩き。美味しい食と美味しい酒を求めて、ブラブラふらふらと。とくに新鮮な野菜と魚が大好きです。
・読書。好きな作家は、山崎豊子、伊坂幸太郎、森見登美彦など。雑文家なので何でも読みます。生き物の話から政治経済の話まで。好きなマンガは、NARUTO(ナルト)です。
・音楽。Billy Joel, Eric Clapton, Mike Stern, MR. BIG, X JAPAN, YMO, サカナクション, フジファブリック, ミスチル, ドリカムなど多数。最近はSuchmosも聴きます。
・ギター。好きな曲を聴くと、今でも勝手に指が動き出します(笑)時々ふらっと楽器屋さんに寄って、高級ギターを眺めたりしています。
・ゴルフ。1年に10回程度。なかなか100を切れません。マナーはイイですよ。
・ラーメン店巡り。3食×7日間食べられるくらい大好きです。最近はメタボが気になってきたので、「大盛り」や「替え玉」「ライス」の注文を控えています(笑)
【性格】
・まっすぐ。裏表がないのでハッキリしています。
・マイペース。自分ではわからないのですが、昔からよく言われます。冷静。いつも落ち着いています。
・意外と慎重。石橋を叩いても渡らない時があります。
・人見知り。営業なのに…実はそうなんです。
・神経質…ではありません(笑)よく言われるんです。
【座右の銘、好きな言葉】
・質実剛健(そうありたいと思う)
・no noodle no life(食べ過ぎかも)
・いつやるか?今でしょ!
・「成功」の反対は「失敗」ではなく、「何もしなかった事」である。
【経営理念】
縁ある方の人生に、安定と、ほのかな幸せをいつももたらす存在になる・・・それが私の使命なのです!飾らず実直な人が大好きです。自分だけ良ければイイと思っている低俗な輩は大嫌いです。