阪神・淡路大震災から、今日で丸24年が経ちました。昨日仕事で、たまたま六甲道駅まで出かけたんです。駅の改札を出た時に、そういえば明日だよな・・・って思いました。
死者6,434人、負傷者43,792人、行方不明者3人。被害を受けた住宅はおよそ64万棟。
当時の僕はまだ、小学校6年生でした。その日はたしか火曜日で、いつもどおり朝起きたら、家の中がバタついていたのを覚えています。すでに起きてテレビを見ていた祖父が「関西が大変なことになってるぞ」って言っていて、寝ぼけ眼で画面をのぞき込んだら、高速道路がねじれるように倒壊していました。たしかヘリコプターからの中継だったと思うのですが、そこかしこで火や煙があがっていた映像が脳裏に焼き付いています。それが阪神高速3号線だったんだということに気づいたのは、こっちに転勤してきてからのことです。
その頃、叔父と叔母が関西空港の近くに住んでいたんですよね。神戸だけじゃなくて大阪の方も相当の被害が出てるみたいって情報がどんどん出てきて、すごい心配だったのを覚えています。安否確認のつもりで電話してみても、一向につながらなかったです。当時は携帯電話なんて普及していないし、ましてやSNSなんて皆無でしたからね。
僕の記憶はそこで終わっています。でも、現地の人たちは本当に大変だったと思います。家族や親戚を亡くされた方もたくさんいらっしゃいますよね。自分が同じ立場だったら・・・って思うと、やり場のない気持ちしかなくて言葉になりません。
関西に転勤してきて神戸に行った時は、道や建物が整備されていて「開けていてきれいな場所」ってイメージでした。僕の中では今でもそうなんですけど、震災前の街並みは全然違ったそうですね。JR六甲道駅の周りは長屋のような木造家屋が多くて、駅自体もこじんまりとした駅だったそうです。
震災の影響で六甲道駅も線路も駅舎も倒壊したんですよね。交通網が寸断されて、神戸は陸の孤島になってしまったんです。当初の予定では本格的再建には2年は必要とされていましたが、壊れなかった床と梁をジャッキで持ち上げて、74日後には運転を再開させたそうです。ホントすごい!
当時生まれた人たちは、今年24歳になりますね。大学に行っていたとしたら、社会人2年目のフレッシャーズです。24年という月日が早かったのか長かったのか、それはよくわかりません。でも、良くも悪くも語り継がれるべき記憶だと思います。
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