Pray for・・・


 『作家の橋本治さんが肺炎で死去』、何気に開いたYahoo!ニュース欄を見て、カラダの動きが止まってしまいました。驚きを隠せないとはこのことで、電車の中で人目も憚らず「え・・・」と声に出してしまったくらいです。衝撃を受けたと同時に、本当に残念なことだと思いました。
残念というのは、それは僕にとってもそうだし、世の中の人にとってもそうだと思います。

 橋本治といえば、東大在学中の1968年に作成した、駒場祭(学園祭)のポスター『とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている』が有名。そして、あの古典・枕草子を斬新にも現代語訳で甦らせる(『桃尻語訳 枕草子』)という荒唐無稽なことをやってのけ、一躍時の人となった方です。

 生まれは1948年だというから、まだ70歳という若さでした。一昔前と違って、今の70歳はものすごく元気なイメージが強くて、自営業の人だとまだ働いてたりしているし、それ以上に彼自身が若く見えるんですよ。喪主が母親だったということも、さらにそのイメージを強調してしまうのですね。

 死因は肺炎となっているけれど、がんで闘病していたので、その延長で起きたことだったのではないかと推察します。

 僕が彼の本を手に取って読んだのは、大学生の頃でした。その頃はとりあえず何でも読もう(今でもあまり変わらない)と思っていたので、なぜ彼の本にたどり着いたかは定かではありません。ネットの記事なのか本なのか、どこかで彼の名前が出てきたから、僕の頭の片隅にあったんだと思います。

 彼の文章はどれも独特なのですが、「自分の頭で考えるとはどういうことか」をやってみせてくれます。一つの糸を慎重に、それでいて時に大胆に手繰り寄せていく強い姿勢を感じました。

 僕が今でもたまに読み返すのは、『二十世紀』という上下巻の文庫本です。彼はその中で、20世紀を1年ごとに紐解いていくわけですが、生活レベルのことから、芸術・経済・政治まで幅広く視野をとります。収集のつかなくなるかというとそうではなくて、せこいエッセイ本とは違い、そこはしっかりと20世紀の全体像を浮き彫りにしています。

 その中でも僕は、1989年の章が一番好きなのですが、彼はその年を「終わりの始まりの年」と表現しました。1989年は、昭和天皇の崩御に始まり、歌手の美空ひばりさんや漫画家の手塚治虫さん、パナソニックの創業者・松下幸之助さんらが相次いで亡くなった年なんですね。年の終わりには、東西冷戦の象徴でもあった『ベルリンの壁』が壊され、自由の風が一気に世界を駆け抜けました。我が国日本では、日経平均株価38,915円という最高値をつけ、程なくしてバブル崩壊へと至るのでした。
 このように、1989年は「昭和」というひとつの時代が終わりを告げる年だったのです。

 普通に生きる毎日なんだけれど、実は歴史という大きな流れの中にいるんだよって問いかけられているような気がします。

 だけど、橋本治が亡くなったのもまた、「平成」というひとつの時代が終わる年だったということは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
 心よりご冥福をお祈りいたします。

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